風景づくり夏の学校2014 座談会
この座談会はU30都市計画-設計提案競技に先駆けて2014年7月1日に、青木淳建築計画事務所で行いました。
青木淳(建築家)×羽藤英二(都市工学者)
建築から都市をデザインする
都市では死の印象が隠蔽されたまま、建築がつくられてきた(羽藤)
今和次郎の展覧会をやった。関東大震災があって、彼は変わっていく(青木)
羽藤:今日は、U30の都市計画-設計提案競技に際して、建築をやってる人がどのように都市をとらえているのか、建築が都市をどう変えていけるのか。古典的かもしれないけど、改めて青木さんと話し合ってみたいと思います。よろしくお願いします。
青木:難題ですね(笑。
羽藤:はい(笑。 まず青木さんの最近の仕事について。僕もそんなに建築を知ってるわけじゃないけど、青木さんの杉並大宮前体育館のつくり方が、普通の建築家のつくり方とはずいぶん違うように感じています。強いデザインで建築をつくりあげていくのではなく、周囲との関係はていねいにつくられているんだけど、まちに置かれる建築として、不作法もあえて許しているというか……。建築家にこんな仕事ができるんだと思ったんですが、青木さんの仕事の作法についてまず教えてください。
青木:前々から思ってたことなんだけど、建物がオブジェ、閉じた作品、モノになってしまうことに抵抗があります。建築を作品にするというのは、統一されたモノにするということ。目指すべき世界というのがはっきりあって、前後左右のものがそれに収斂していくというつくり方をしていく。当然それ以外の可能性は見ないことになる。だから排他的にならざるを得ない。デザインされたものを見ると、かっこいいかもしれないけど、居心地が悪い。そうじゃないデザインがあるんじゃないか。そういう出発点でした。
羽藤:震災直後、隣にいる新建築社の橋本さんから「JA82 日本の都市空間2011」に論考を頼まれたんですが、そこで、都市では死の印象を完璧に隠ぺいして、生を謳歌する印象を強める建築が強い想定のもとにつくられてきたんだけど、そういう建築は欲望には率直だけど、いざというときは閉じてて固くって、儚いものや至らないものを包摂できない、みたいなことを書いたんですよね。青木さんの杉並の体育館は、なんていうか、手が届いている気がした。ああいう考えはどこからやってきたんですか。
青木:震災の後、僕が設計した青森県立美術館に行ったら、今和次郎の展覧会をやっていた。彼は、民家の研究を、形を持ったものとして取り組んでいたんだけど、関東大震災を経て変わっていく。そうやって考現学に行きついた。美術館の会場構成を改めて見てみると、ここで地震があったなというのが、わかったんです。人間には生活があって器がある、そしてそれは震災前まではくっついている。生活と器との間に関係があって、もう一体化している。でも、震災はその関係を壊しちゃった。器が消えちゃったということです。比喩的にいうと生活が裸で放り出されてしまったということ。それで、生活を見ないと形が復興できないということになったとき、彼にとって初めて、バラバラになったいろんな生活が現れた。形と生活がくっついているときはそれをテーマにしなくていい。これきれいでしょ、でいいわけです。だから震災より前は、完成しきって死んでしまっている形でも、受け入れられてしまう。だけど器が壊れてしまい、もう一度裸の生活に形を与えていかないといけないというときに、見えてくるものは変わってくる。
羽藤:8年くらい前に、本郷に自分の研究室を持つことになったとき、都市生活学研究室って名前にしたんですよ。今和次郎や吉阪隆正さんの影響を受けたんだと思う。今日、生活というものが、テクノジーや政治・経済などによって揺さぶられて、どこにいくかわかんないというような状況だと感じていて、空間だけが拠り所になれるんじゃないか、空間があることで、震災や、いろいろしんどいことがあっても、生活を取り戻していくための力を持ち得るんじゃないか、生活と空間を結びつける原理やデザインを考えたいと思った。なので、震災で空間から切り離されてしまった生活を考え直さざるを得ないという青木さんの話に共感します。道後も、一遍上人ゆかりの寶厳寺の重要文化財が焼けてしまって、まちづくりの拠り所にと思っていた歴史が失われてしまった。南海地震に備えるべく、道後温泉本館の耐震補強が始まると、観光客は入れなくなりますから、入浴客が激減するんじゃないかって言われています。災害のような危機に直面したき、想定を強めて一個の建築で対応するのではなく、様々な状況に応じていける、いろんなスケールから提案を出していかないと、地域デザインとしては持たないのではないかと感じています。
経済とテクノロジーのプールに入れられて切断されて(羽藤)
バラバラなものをつないでいく、秩序を考える(青木)
青木:建築を閉じたモノとして捉えるのではなくて、バラバラなものをどうつないでいるのか、つまり、それらをつないだ状態として見るっていうふうに変化するわけですよね。そう見た方が生産的であるし、僕は、建築をそう見る方がつじつまが合うと思う。つまり、まず全体性があって、それをブレイクダウンして部分をつくるというふうに建築を考えるのではなくて、まず最初に部分が独立して、いろんな部分がバラバラな状態であるということを前提として受け取って、それらをどうにかしてルーズであれ、穏やかであれ、何かの秩序でつないでいく。そういう考えの方が、射程距離が大きくなる。
羽藤:言葉としては理解できる気はします。でも、いろんなスケールを、ひとつの空間の中で調整しながら、ひとつの建築をつくる部分をつくる、別のかたちを与えるというのは、生半可じゃないですよね。
青木:いや、意外と当たり前のことなのかも。たとえば、建物ができたところで完成する、というのではなく、その後も延々とアップデートしていくという建築あり方も可能ですね。そもそも普通の家って、そういうふうにできていたわけですよね。なので、そういうふうに建物をつくろうとしたときは、未来のことは不確定ですから、未来に起きることは、理屈としては、バラバラなこととして存在していると言える。今あるものを現段階では読めないいろいろな要素に次々に置き換えていく、という一種の運動体としてみることも可能です。
羽藤:都市側のアプローチとして、このまちをこの主題でつくりますみたいなのを地域全体で考えるわけですが、一方で、かつて道後温泉は昭和40年代にJTBの大型バスが乗り付けられるように、旅館からホテルに、それぞれが一個の建築を建て替えたはずが、みなが同じ方を向いてしまい、すっかりまちごと様相を変えてしまった。囚人のジレンマですね。まち全体がクルマというテクノロジーと、ツアーという経済商品のプールに入れられた結果、土地の文脈は切断されてしまった。
青木:それで、自分で自分の首を絞めてしまっているところもありますね。建築主が、私有地の中で最大容量をつくりたくなるのはわかる。でもそれをみんながやると、まちは壊れてしまう。だから、アーバンデザインが必要なのだと思う。ただし、そのアーバンデザインは景観の規制というのではなく、まちを少しずつ置き換えていくときに向かう方向性の共有という意味で捉えた方がいいですね。もちろん、方向性を共有していても、必ずしもそういう方向に行かないかもしれない。でも、できたらこういう方向、というのが共有できているかどうかでまちはずいぶん変わってくると思います。ちょっと楽観的すぎるかな(笑
たとえば、夏目漱石が通った本館がありますね。あの『千と千尋の神隠し』のような空間は、それ自体すごくおもしろい。でも、そこから先の道がクルマのための道で、歩くには厳しい。緑も少ないし。それは、道後温泉全体で考えたら、そうとうマイナスだと思います。だから、緑をできるかぎり多くして、人がのんびり歩けるようなまちにする、というビジョンを皆で共有できれば、少しずつ変わっていくのではないでしょうか。人それぞれ、歩行者空間を充実させるための具体的方法は違うかもしれない。でも、その違いも含めて、あるいは違いがあるからこそ、まちが豊かになっていく、ということがあるような気がする。
碧梧桐は、新しい俳句、相当へんなことをやった(青木)
句と地形がぴたっと一致する場所があるんですよ(羽藤)
羽藤:景観ルールみたいな強いルールより、町全体の方向性を示して、自由に任せた方が面白い、ということですね。一方で道後もそうですが、景観側の実務作法だと、伝統的なとか、温泉街だからといった景観ルールをかけていくケースが現場では多いように思います。
青木:そうですね。でも、皆が形や色として同じになってしまうというのは、逆に退屈なまちにしかならないかもしれません。去年、ビルバオのデザイン会議に参加したのだけど、面白かったのは、市長や大学の先生やデザイナー、会う人会う人、ビルバオの話をしてくれるですが、その話が皆、同じだったんですよ。ビルバオはかつては造船のまちで、それがだんだん廃れていたところに、公害もひどくなって、まちが荒廃し、ぎりぎりのところで、「デザイン」という道で再生していくことを決め、それをグッゲンハイム美術館ではっきりと示した、という物語です。皆が同じ話をするということ、これすごいなと思って。規制とか景観条例ではなくて、自分たちの町がどのような町を目指しているのか、その物語が共有されている。これは強いです。だから持続的に続いているのかなと。
羽藤:学生の都市設計のグループワークや、実際の駅の設計、まちづくりもそうなんだけど、立ち返るところを共有できている、納得できているチームが強いんですよね。バラバラのように見えても、バラバラさが生きる。だけど帰る場所のないチームは、バラバラで終わってしまう。道後の提案もチームで取り組みますから、広場ひとつつくって思考停止じゃなくて、敷地も広いから、俺はランドスケープをやる、私は街路、僕は見世物小屋、とか、バラバラな提案なんだけど何かがある、そういうのは面白い気がしますね。
青木:ですね。
道後温泉は、文学と関連が深い。漱石、子規、(河東)碧吾朗がいて、その句碑があったりする。明治時代、大正時代、昭和、古い温泉が持っている文学とかの関係、そういう歴史を持っている。
羽藤:道後にも昔は色里があって、子規はそこで「色里や十歩離れて秋の風」なんて詠んでいる。いいですよね。
青木:ほほう。
羽藤:本当に上人坂の地形に沿って、色里だったところから10歩ほど階段を登ると、いい風が吹いて、振り返ると松山の町が一望にできるんですよ。句と風景がぴたっと一致するシークエンスがある。でそれをどう生かすか。
青木:大正から昭和の文学だから古い、というわけでもないですね。逆に、碧梧桐は、前衛的な俳句をやっていたわけで、今考えても相当へんな句をつくっている(笑。その当時を推し量ると、道後温泉の雰囲気はかなりモダンだったのかもしれませんね。今から見れば過去が古いのは当たり前で、そういうことではなく、そのときどきにどんな感覚のまちだったのか、それをつかんで欲しいですね。
羽藤:その土地その土地に華やかなりし頃があって、昔を遡るほど、土地の使い方は地形や酒や、その土地の文化を反映したものだから、そこに今日的な光を当てて、見立てて、再編集してもらいたいですね。
ともだちだった漱石と子規の物語から考えてみる(羽藤)
小さいスペースで噺家の噺を聞くという出発点(青木)
青木:そういえば、松山は小魚がおいしかった気がするんだけど。
羽藤:瀬戸内海だから、関東の赤身文化じゃなくて白身文化で、雑魚が多いんですよ(笑。
青木:そうそう。立派なドーンとした魚が出てくるんじゃなくて、ちっちゃい魚がちょこちょこと出てくるのがいいですねえ。すぐ近くのところで、こんなのいっぱいいまして、という感じ。その雰囲気が、道後温泉を含んだ松山という町の物語をつくるきっかけになるかも。
羽藤:都市の側から考えても、その土地なりの物語を、と思うんですが、たとえば道後で、落語のホールみたいなものもあるといいんじゃないか、そんな話もあったりする。それは漱石と子規が落語が好きで一緒によく行っていた、みたいエピソードがあるからなんですが、温泉に行って、その帰りに少し寄ってみるか、そんな物語でもいいかもしれない。でも、そういう生活文化は地元からは一旦失われているので、それこそ箱だけつくっても、肌感覚として、ああそうだよな、とはならない。生活文化として楽しみ方が根付いていかないかもしれないという状況から、どう空間を立ち上げていけるか。
青木:子規や漱石は落語を見に行っていたんですか?
羽藤:そうですね。仲良かったから二人で学生時代に覚えたようです(笑。
青木:大きな小屋だったんですか? 四国には今でも「こんぴらさん」など立派な歌舞伎の劇場が残っているけれど、落語は歌舞伎と違って、演劇というより話芸でしょう。舞台の上に噺家が座って始まるのが今のイメージで、まずマクラがあって、気がついたら、噺の中に入っている、という芸。これ、一対一の関係でも可能な芸ですよね。そこが面白い。だから、大きなホールで落語を、というのではなく、もしかしたら、とっても小さな場所がいっぱいあって、そのところどころで落語をやっている、という情景もありかも。
羽藤:面白いですね。道後の、地形に富んだ土地性を読み込むと、そういう小さな場所があちこち具体的にイメージできる気がします。やっぱり、どこでもそうだけど、敷地と向き合うと面白いアイデアが出てきますね。話が具体的でU30はかえってやりにくくなったかもしれませんが(笑。
青木:あ、すいません(笑。だけど、落語なら落語で、今の落語のイメージではなく、昔、 人々は落語をどのようなものとして捉えていたのか、その感覚を実感できるところまで歴史を調べると、逆にすごく新鮮なアイデアが出てくるかもしれません。いや、落語が元来、一対一の芸だったかどうか、ぼくは知りませんので、念のため。たとえば、の話にすぎませんから(笑。
広場って概念はないし、使い方を決めすぎると陳腐化する(羽藤)
広場じゃなくて辻、道なんじゃないですか(青木)
羽藤:もう1点。「広場」が欲しいという地元の声がある。社会基盤系の提案競技だと「広場」そのものをテーマにしたコンペも多くて、それはわかるんだけど、一方で、日本に広場? と思ったりもする(笑。外湯文化ということで言えば、確かに、もともと公設湯が外にあって、そのもっと前は露天風呂だけで、訪問者はそこをぶらぶら歩き回って入っていた。それが、あるとき観光バスで乗り付けて、内湯を便利にしてホテルの中に観光客を囲いこむようになった。でも地元の人と話すと、やっぱり違う「外湯文化」なんだと言う。それは、さっきの青木さんの話で言えば共通の物語=コンセプトになりそうです。でも、そのとき「広場」は本当に必要なのか。青木さんは「原っぱ」って言葉を使っていますが、「広場」を考えることの是非について聞かせてください。
青木:うーん、外湯の文化と広場は、結構遠いなと思う。外湯って言うとき、一番イメージするのは、泊まってるところから、ぶらぶら歩いてくる楽しみでしょう。その歩いているところが大切で、皆が集まる場所としての広場のイメージでないですね。それに、日本には広場はなかったわけで、あったのは辻ですよね。往来。
羽藤:日本の場合、橋詰広場や交通広場のような土木的で機能的な空間を、交通や物資流動の文脈で交通ネットワークの中につくっておくという作法ですよね。それ以外に広場って概念はない。
青木:はい、ないですね。あったのは、辻とか井戸端会議とか、道の延長。
羽藤:むしろ回遊していく街路をどのようにつくっていくか。歩いているだけじゃなくて、佇んだり、眺めたり、小さな辻の風景に誘われて裏道に入っていったり。
青木:こっちから来る人、あっちから来る人が交差する。その交差が物理的に空間化されたときに、日本では「辻」になる。西欧では「広場」になる。「広場」は、城壁で囲まれた稠密な都市のなかで、そこに住む人皆が集まれるような、ぽっかり開いた外部の大広間っていう性格があって、いわば、それ自体に行くことが目的になっている場所ですが、日本の場合には、目的がはっきりとしないで、交通がアリバイとして機能して、その場所自体を目的地とするのではないゆえに魅力的な空間になっている。
羽藤:対象敷地のフラットな回遊性を考えると、確かにそうなんだけど、道後温泉本館は明治時代に当時の町長が莫大な費用を注ぎ込んでつくって、今、その周りの街路は広場的な様相も示している。温泉に入って泊まる、イベントもやる。目的地化していてコアになってる。だけど、街路にしろ広場にしろ、商業的に使い方を決めすぎると陳腐するから(笑。青木さん、そういうのに否定的じゃないですか。
青木:本館はかなり大きな建物だし、その使われ方も、道後温泉いちばんの「大広間」のようなものですから、本館のまわりに広場があるというよりは、すでに本館そのものが広場のようなものと言った方がいいのではないかな。あるいは、本館とそのまわりの空間を合わせて「広場」。その場合は、回廊の中に本堂や塔に配置したお寺の伽藍に近いものとして捉えるのがいいのかもしれません。でも今の状態は、回廊的な囲いがなく、そのまま車が普通に通る通りに直結していて、落ち着きませんね。
羽藤:嫌だったんで、県道と市道の付け替えをして、本館には天皇陛下が入る裏口というか表口があるんだけど、そっちにクルマの動線を回して、表側を桜御影の石を貼って歩行者専用空間にしたんですよ。
青木:そうだったんですか! 思うんですが、きっと「広場」という言葉を使わない方がいいかも、ですね。「広場」という言葉を使うと、ついついその言葉にひっぱられてしまう。それで、なんだか変な方向にねじ曲がって行く。だったら、最初から「広場」という言葉を使わないで、そこで起きていること、起きて欲しいこと、温泉に入った後の夕涼みとか、パートナーが出てくるのを待っているとか、それにかこつけて、往来の人を眺めるとか、そういうそこで起きるコトを情景としていっぱい想像した方が生産的ではないかな。
羽藤:確かに「広場」はちょっと不自然かもしれません。外湯文化の中で、外部空間としての道がどのように使われ、楽しまれ、眺められ、読まれてきたのかを考えると、「広場」じゃない気がします。外湯文化の中で使い倒されてきた外部空間をもっとていねいに、外湯の作法に立ち返って見立て直すということかもしれません。
青木:言葉で言うなら、たぶん、広場より、道なんでしょうね。
羽藤:確かに道ですね。あとは建築の周縁を建築も含めてどうデザインしていくかということかしれません。
青木:建築をボンっと置くんじゃなくて、今、道後温泉にある建築をつないでいって、これとこれとがうまくつながった、ということの方が大事じゃない?
羽藤:なんかもう、僕がエスキース受けてる気がしてきた(笑。
青木:いやいや、課題がよくわかってなくて、ごめんなさい(笑。
何大切にしていますかね(羽藤)
場所にいって、その周りをくまなく歩くこと(青木)
羽藤:今回の課題はユルくて、道後の都市計画と都市設計を提案しなさいということなんで、街路でも、辻でも、見世物小屋つくってもいいし、なんでもありという設定にしています。
青木:この設計提案する人は現地に行くんですよね。
羽藤:現地説明会があって、最終講評会も現地でやりますし、実際に都市計画の現場に関わってもらうつもりです。
青木:実際に現地を見て、肌身で感じることは、とっても大事ですね。
羽藤:青木さんは、最初に現地に入るとき、どんなことに気を付けていますか。設計された杉並の体育館も、行ってみたら木があって設計変更して、切らないことから考えたみたいなことをおっしゃっていましたが。
青木:はい、先入観なく、ということが大切ですかね。ただぶらぶら歩く。半日くらい、対象となっている場所だけでなく、あちこち歩いて、その場所の持っている空気を体に覚えさせる。そのとき、必ずしも言語化しなくてもいいんです。ただ、なにかを感じたら、その感じが何に起因しているのか、それを突きとめようとすると、いろいろ発見があると思います。
羽藤:ですよね。わかります(笑。
青木:ですよね(笑。建築をつくるというのは、その建物だけの話ではなくて、その建物ができることによって、そのまち全体の感じがどう変わるか、あるいはどう変わってしまうか、という問題なんです。海外に行ったときはそれを、お灸を比喩にして話したりします。お灸は体のほんの限られた場所にだけするものだけれど、その場所だけでなく、体全体に効くんです、というような……。
羽藤:伝わりますか。
青木:意外に伝わるんですよ(笑。誤解を招く言い方ですが、建築そのものがどう見えるかより、その建物の存在によってまちがどう見えるようになったかの方が大事なんです。
羽藤:難しいんですよね、それが。今回は、都市と建築と社会基盤で幅広く応募して下さいということにしていますので、チームでなんとか知的スタミナもって、乗り切ってほしいですね。
青木:そうですね。立場が違うといろいろな意見が出てくると思いますし。
本来、都市計画というのは、アーバンデザインということとイコールだったと思うのですね。今、日本で、都市計画というとそれとだいぶニュアンスが違っているようですが。
羽藤:日本の都市計画は制度やゾーニングで、かつて丹下さんがやられていたような都市設計やハーバードスタイルのランドスケープを基礎とするアーバンデザインからは遠くなっている気がします。だから、改めてそこを考えたいというのが今回の趣旨です。
青木:最終形としてこうなるといい、ということだけでなく、そういう方向になっていくためには、どういうプロセスがあるといいのか、それを見せてくれるといいですね。
羽藤:はい。では最後に学生さんやU30の若い人に一言お願いします。
青木:皆さんは道後温泉を見て、どう感じるのか、そこに一番興味あります。育った時代が違うので、それは僕のそれとはだいぶ違うのが普通でしょうし、だからこそ、どういうことを感じ、そこからどういうことを考えるのか。知識は必要ですが、その上で、その場所で感じる、というのはもっと大切。自分の感じ方を分析できるといいですね。
羽藤:情報が多いから、つい、どこかからもってきちゃうところがある。でも素の自分で土地に立って、感じたところから。
青木:そこから始めて欲しいですね。なにを発見するのかな?
羽藤:テーマを与えない。普通の競技なら「広場」を考えて下さいとか言いますよね。でもそういうのはいいかなと思ってて、自由に見て、自由に考えて欲しい。青木さんの関心にU30の人たちが答えてくれる面白い提案が出てくるんじゃないかと思います。
青木:無理してでも、講評会に行こうかな。
羽藤:ぜひ。今日はありがとうございました。